HSP(超敏感タイプ)だったみたい

HSP

能天気でのらりくらり生きてきたつもりの私がHSP(超敏感タイプ)と判明した話です。
診断項目を知るにつれ、当たり前に感じてきたことがHSPだからこその思考なのだと知ることができました。同時に今までの生き方を肯定してくれた様な気持ちにもなり、心が楽になりました。
この記事はHSPとはどんな思考でどんな行動をする人々なのか。
HSPでよかったこと、HSPじゃなかったらなあ。と思ってしまう事。
など自分の経験を元にまとめます。

まずは自分が当てはまるか気軽にチェックしてみてください→https://hsptest.jp/

先日ふとした瞬間、私って意外と繊細さんっていうやつかも?と思うことがありました。

子供が模擬試験の1週間前から風邪気味になってしまいました。本人は勉強もしなければ。と焦っているけど集中力が持続せず、風邪も少しずつひどくなってきて心配していました。

それから私は原因不明の下痢になり、動悸を感じ、眠れなくなったのです。

最初は風邪をもらったんだろうな。と考えていました。
そして模試が終わると途端に治りました。

数年前、同じことがあったことを思い出しました。
子供が小学校の時中学受験に挑戦したとき、毎日勉強に付き添っていましたが、やはり同じく下痢と動悸がひどかったのです。

そんなことを思い出していたら過敏性腸症候群や育児ノイローゼとか鬱とか更年期障害などのワードがよぎり、パソコンで調べるようになりました。

  • 過敏性腸症候群の疑い→人間ドッグで胃カメラ検査→異常なし
  • 育児ノイローゼ&鬱の疑い→疑っている時点で可能性は薄い
  • 更年期障害の疑い→イライラしない。急な汗もない。でも動悸だけ引っかかる…

という状態で【婦人科】に行こうかな。
でも漢方薬か何か処方されて終わりだろうな。と考えて結局行動できずにいました。

考えた末、【自分史をつくる】という事に興味が湧きました。
かねてから自分がボケてしまったら。病気になってしまったら。子供たちが相談出来ない環境になった時に文章にして残しておきたいと考えていました。

そして十何年ぶりにパソコンを触り、自分の記憶の一番から順に強烈な出来事から書き込んでみたのです。

  • 難病を患って闘病生活3年で亡くなった母の事。
  • 闘病中に近所の奥さまと不倫をして出ていって母が死んでから帰ってきた父の事。
  • 高校生の私、小中学校の弟2人との生活の事。
  • 父の再婚と私の家出の事。
  • 借金を抱えた男との婚約の事。
  • 男の借金を肩代わりした後、婚約破棄された事。
  • 自分の名義の借金の支払いのために昼夜働くことになった事。
  • 付き合った相手が既婚者と分かり、離れようとしたがDV&ストーカーになり警察沙汰になった事。
  • 個人再生法という法律を使い債務整理した事。

こんな自分の人生を綴っていたら【偏り】を感じました。
自分の責任下での決断が悪い方向に向きがちだな。と感じました。

皆さんもノートやネットなどに自分史を分かった順に書き出してみる事をおススメします。

この自分の偏りってなんなのか、ものすごく気になりました。

そこで出会ったHSPという言葉。
要約:(Highly Sensitive Person)は、生まれつき敏感で、周りからの刺激を過度に受けやすい「繊細な人」のこと周りの人の感情や気分の変化に気づきやすく、自分の感情や体調に影響を受けてしまうくらい深く相手へ共感しやすい繊細な人のこと

まさにこれだ!と思いました。

150点満点中、119点で【超敏感タイプ】との診断が出ました。

この診断結果を受けてなるほど!と思う事や、そう思わない人もいるの?などけっこうなショックを受けました。

気軽に診断してみてくださいね→https://hsptest.jp/

そういえば、そういえば。といろんな当てはまる事柄が湧いてきて【超敏感タイプ】という診断にかなり驚きましたが納得です。

ふらっと見た動画を貼り付けます。声を出して笑えます。そのくらいあるあるが詰まっています。


本を片手にyou tubeを見る事をおススメします。

HSP診断は5段階で選んでいくだけ。47項目あります。
やってみて思った感想はこの人疲れる性格してるな。です。

確かにいろんなことを考えすぎて他人といる事で疲れてくるな。とは思っていました。
人がどんな考えを持っているか、どんな言葉を掛けたら喜ぶか、どう見られたくて発言をしているかが分かりすぎて、自然と相手のペースに則って話してしまう。なので人当たりがよく、初対面の人とも仲良くなれる。相手の満足した、ストレス発散できたような表情を見ると良かったなと感じる。

でも本当は一人でいる方が楽で、電話が嫌いで着信音は常にサイレント。
運転中は歩行者信号をいつも見ていて青点滅がいつ赤になるかが気になってスピードを出せない。
他人の運転は心配で安心できないのでなるべく自分が運転したい。

子供が寝返りをするだけで暑いのか?寒いのか?と目覚める。夫のいびきを聞くと自分が苦しくなる。いびきが止まってしまうと本当に息をしているか確認する。
朝、家族が学校や仕事に行ってしまうとウトウトしてしまう、昼寝をしないと夜まで持たない。

一人で出掛けると良く道を聞かれたり、スーパーで車いすの方に助けを求められる。
横断歩道を渡る時、車が止まるか心配で運転手の顔を見てから小走りで渡る。
おしゃれして誰かの目に留まりたくないので必要以上に着飾ることが出来ない。
子供が泣いていたり騒いでいたりするとその子がなぜそういう事をするか真剣に考えてしまう。
子供達の顔や目くばせや声色で満たされている子か、満たされていない子か分かってしまう。
満たされていない子は他人の親に必要以上に執着するものなので入り浸りしないように警戒する。

他人と比べてみるとキリがないほど疲れそうな考え方をしていることが分かりました。
自分を客観視できるいい機会を得られたし、少し気持ちが楽になりました。

気軽にテストしてみてください→ https://hsptest.jp


子供の頃、転園してきた子、転校してきた子が初めに友達になるのは私でした。
人の世話をするのが好きだったということでしょう。
誰かが蓋を開けづらそうにしていると率先してやってあげる子でした。

でも小学校1年生から3年生の間はいじめられっ子でした。
先にいじめられていた子と友達だったからです。おとなしく、不器用さんだった彼女と二人でいじめられていました。周りのみんなは離れて行きました。下校時何かにつけて「その傘ダセ~」などと絡まれ、泣くと「泣いた泣いた」と満足して居なくなるのでいつも早めに泣いてやりました。
頭の中では冷静な自分がいて、【ウソ泣きで満足してバカみたい】と思っていました。
あまり思いつめるタイプではなかった。相手より正確な判断をしている自信があった。気がします。

4年生になってからはいじめっ子たちとも仲良くなり、女子よりも男子と話している方が多かった気がします。男の方が感情が素直でコントロールしやすい。この頃から分かってやっていたみたいです。

頼られキャラで、好きな色は?という質問にはピンクとか赤とか青とかメジャーな色は避け、緑と答えて、演劇ではゴミ袋をかぶって石になるという役をしていました。目立つ事は本能的に避けていました。
そんな私のあだ名は「おかあさん」
中学に入ってからも「おかあさん髪やって~」と朝から髪の毛を結わえてあげるのが当たり前でした。

中学の時は起立性調節障害だったと思うのですが、全校集会などで良く倒れて保健室に運ばれていたし、お腹も痛くないのにゴゴゴッとお腹が鳴って集会が終わると何んともなくなったり。
自分の分からないところで精神的なストレスが体調に現れていたようです。

HSPの特徴である、人の機微に敏感で、人に寄り添い、相手のペースに合わせ、自分は目立たず、常に緊張していて体調に影響する。という部分が現れています。

母が病気と分かったのは高校1年生だった時。
検査で病院を訪れてそのまま入院、そして転院。
病名は【再生不良性貧血】という自分の体の中で血液を作れなくなってしまう病気です。

HSPに磨きがかかった時期と言えるでしょう。

母の代わりをする。という事に光栄だとさえ感じていました。
高校から帰って来たら晩御飯の準備をして家族4人分の洗濯をしていました。
土日は家の中の掃除をして病院に行きました。
そんな生活を高校を卒業するまでなんの苦労とも思わずやっていました。

HSPの特徴である責任感が強すぎる。という部分がいかんなく発揮された時期です。

母が亡くなり3年経った頃、父が再婚することになりました。

弟たちがまだ高校と中学だった頃なので反対しましたが我慢など一切できない父は再婚に踏み切りました。

嫁に来た相手は初婚の初老。

家政婦だと思ってもらっていいです。と同居することになりましたが、時間の使い方が合わず、掃除ができない人で、食事の片づけよりも食後のコーヒータイムが大事な人で、自分が大切にしてきた母との思い出が詰まったキッチンや家が汚くなっていくのが耐え切れず、手助けすると機嫌が悪くなり無視する人で、4か月ぐらいで限界になり、一人暮らしをすることにしました。

「22歳にもなったし一人暮らししたいから。」と言って誰にも不快感を与えず自分のわがままという印象を与えて実家から逃げ出しました。
新婚で楽しい時期に私がギャーギャー言ってもプラスにはならないと判断したからです。
父は再婚相手のそういう部分はいまだに知らないでしょう。

HSPの特徴である【人の機微に敏感で予定通りに事が進まないとストレスを感じ、争いを好まないので自虐的に事を運ぶ。】がここでみられます

家を出る事を決めてからは副業探しをしなければいけませんでした。
高校の友達でスナックのチーママをしている人がいてそのスナックではアルバイトをすることになりました。

接客業:HSPの人にはとても向いています。人の機微に気づき、どんな言葉が欲しいか瞬時に反応し、相手のペースに馴染むのが得意だからです。

昼には事務職をしていてあまり人と話すこともないですが、夜の接客業がこんなに楽なものとは思いませんでした。

でもとっても疲れるんですよね。人の顔をずっと見て言葉尻を読み取って。カウンターで一人で来たお客様2人や3人をグラスを洗いながら接待するわけですから。キャラが似ているお客様ならひっくるめて接待できますが、静かに会話を楽しみたい方もいるわけで。頭も手もヒールを履いてる脚もフル回転。若くないと出来ませんでした。

1本いくらの会計方式ならいいですが時間制の接客業となると、その時間までに話にオチを付けなければいけません。延長して欲しい場合はまた話し方が変わってきます。

接客業はHSPには得意分野ですが本職にするといつか限界が来ます。頭がパンクします。

そうして楽しくたまに接客業をアルバイトとして一人暮らしを楽しんでいた時、一つの出会いがありました。

【影のある男】やせ細り、「おれなんて」と自虐的に笑いをとり、たまに表情が何もかも諦めたような表情をする男。

何かある人なんだろうとHSPなりに気になる存在でした。その男に気に入られてしまい、お付き合いすることに。

若かった私はグイグイ来る【影のある男】とあれよあれよという間に一緒に実家に住むことに。
母親にも気に入られました。私は【影のある男】に800万もの借金があると聞かされても何の憂慮も無く、糖尿病を患う男の母親と、借金込みのこの男を背負ってこの家族の為に生きよう。
とのめり込んでしまいました。ここに自分の存在意義がある。と思っていました。

嫁に欲しい。と家族で一致しましたので婚約しました。
一生一緒にいるつもりで私の名義で借金をし、男の借金の業者の数を減らす目的でお金をまわしていました。

何も疑わずに。責任感の強さ、決めたら達成するまで止めない。HSP丸出しです。

そのうち私の名義ではお金が借りられなくなりました。すると突然「婚約破棄してお前を自由にする」と言い出したのです。では私名義の借金は返してもらえるのかと問うた所で、家計は知っていますからどうにもならない事はわかっていました。だから一緒に返済していこうと思っていたのに。

HSPは普段は決して事を荒立てたりしません。自分のせいにしてまで穏便に済ませようと考えるものです。しかしHSPは思いもよらない事柄が起こるとパニックになります。限界が来ると相手を抹殺しても構わないのではないか。と危険な思想に発展します。その方がきっと周りが幸せになるのではないか。という正義感が出てきます。

結局話し合いしたいのに連絡は途絶え、実家にも帰って来なくなり、私は一人で借金の返済という大きな責任を負い、家を出ていく事になったのです。

HSPは怒りすぎるとそのあとに自分を責めます。なにやってんだろ。という気持ちで笑えない日々が過ぎていきます。
しかし私にはそんなにへこたれてもいられませんでした。借金返済は待ったなしですから。
責任感の強さは自分ではコントロール出来ません。潜在意識ですから。

がむしゃらに毎日お金を稼ぐこと一心で頑張りました。それが怒りを忘れさせてくれました。
名義は自分、どんな理由であれ、自分の意志で借りたのだ。と思えるようになりました。

自分を語るうえで責任、正義、理想が強くて良い方にも悪い方にも影響があるのだな。という事が分かりました。

HSPという種類の人間であるという事が分かり、今までの自分の人生の見方も変わりました。こんな悲惨な人生誰にも語りたくないと思っていましたが、HSPの観点から見ると自分にはそういう行動しか出来なかったのだな。と納得できたし認めてもらえた気がします。

冷静になったところで借金返済は待ってくれません。

でも天職かも?しれないほど夜の接客業では実力をつけていきました。
お客さんが同伴からアフターまで一緒にいてくれればあまり疲れる事はありません。
そういう固定客がこんな私でも付いてくれました。

そしてHSPあるあるかわかりませんが気難しいお客様に好かれる傾向があり、初めて来たお客様も任せられることが多いと思います。気心が分かってしまうので私はあまり苦手なお客様はいませんでした。

オーナーに夜一本で仕事してくれないか。と言われても自分には昼ののんびり事務員は捨てられませんでした。おじちゃんばっかりで事務員は私とおばちゃんの二人。ずーっとおばちゃんとおじちゃんと話すのは全く苦にならないんですよね。

ここでひとり気難しくてお酒に弱い男の人に出会います。
自分の借金を返したらアルバイトもやめて今度こそ幸せになる。と思っていました。

付き合って2か月、何となく隠し事があることに気づきました。
清潔感がありすぎる。というところで勘づいてしまいました。既婚者でした。
それでも結婚生活は破綻している今にも別れる。ちょっと待ってて。という言葉を信じ、1年過ぎた頃。私は気持ちも冷めてきて別れを口にしました。

そうです。HSPは機微に敏感なので気付かなくていいところを気づいてしまうのです。そしてHSPは白黒はっきりさせたいんです。

ハッキリしてくれないので「もうあなたといる意味はないです。」という気持ちになり、相手に合わせてなんでもしてあげていた事がもう出来ないのです。彼には別人に見えた事でしょう。

別れを口にした途端、暴力男に変身。力でねじ伏せるようになりました。
私は彼から隠れるように生活をするようになりました。髪をバッサリ切りました。
すると夜のお店に電話を掛けてきたり車で待ち伏せしたり。お客さんに接触しようとしたり。
私が相手にしないと今度は昼の仕事の方に電話を掛けてきて「社長をだせ。」と社長に向かって「お前のとこの〇〇どうなってんのよ」と私の話をしてきたそうです。
この間2か月ぐらい長文のメールを送ってきたりと完全にストーカーになってしまいました。
社長に呼び出され、「なんだ、この男は完全に狂ってる。今すぐ警察へ行ってこい。」とのことで警察へ。ストーカーと認定され、呼び出し、注意してもらいました。

HSPが恋愛すると最初は信じ切ってしまうのですが人の機微に敏感なので感知が早く、裏切りがバレてしまったらもうその恋愛は終わり。こと恋愛におけるHSPは白黒はっきりさせておきたい。ということを分かっておいた方が良いかもしれません。

その後また出会いがありました。会計士の方でした。私の事を心配してくれる人で、しっかり家庭も築かれている方。借金のことがバレて根掘り葉掘り聞きだされました。
その方が急に「借金の事相談しに司法書士の先生の所へ行こう」と強引に連れ出してくれました。

借金男に既婚ストーカー男ともう誰も信用できない状況になっていたので先生の所へ行くまで信じていませんでした。借金が無くなるとかあり得ない。と思っていました。

そこで初めて【個人再生法】という法律があり、私の借金が100万以下になる。その条件に当てはまる。との事が分かり、人生が変わりました。

HSPは人にやさしくするのは得意ですが、やさしくされると涙が出てきます。悲しい事や怖いものや痛い事では泣かないのにやさしさに涙腺が緩みます。

その時司法書士の先生から「いままでよく頑張ってきたね。もう大丈夫だよ。」と言われた時は初対面にも関わらず声も出ないほど泣いてしまいました。

そのあと3年掛けて100万を返済し、完済することが出来たのです。

借金を返した後はどんどんアルバイトを減らし、無理をしない生き方に変わっていきました。

借金という責任が無くなって自由になった私は一人で温泉に出かけたり一人で渓流釣りに出かけたり。
それはそれは楽しい日々でした。その一人で過ごすことの快適さを知ってしまった私はこのまま一人で生きていきたいと考えるようになっていました。

ある日中学校の同級生の同窓会があり、参加しました。

そこでもHSP発動。みんなのツボが分かってしまうと、盛り上げなくちゃ、という責任感が生まれてしまって覚えている昔の事をしゃべりまくりました。

ものすごく疲れました。でも帰るとみんなから「あんたがいて楽しかった。」と連絡が来ました。

勘違いした男どもはすぐに「楽しかったからまた会おう。」としつこく連絡してきました。

こうなるとHSPの頭の中は盛り上げてしまった事を何となく後悔します。
あまり人の記憶に残りたくない。でも私が盛り上げなきゃ。という気持ち。が混在します。

その後、また出会いがありました。

昼の会社の取引先の部下を紹介したい。と言われました。
理由は私が【とっても明るく楽しい人だから。】
うん。HSPの外面です。誰にでも合せられるし、優しく出来るので悪い印象は持たないでしょう。

でも恋愛は正直コリゴリ。でも取引先は大企業。断れず、会う事にしました。
が、忙しい事を理由に半年ぐらい後に会わせてもらいました。

私が好きな日本酒の生産地の出身で私が好きな刺身が捨てるように釣れる所の出身。
特におしゃべりが得意ではなく、あまり会話することなく、にこにこして飲んで最後に酔っぱらってしまいました

上司の方には酔いつぶれて眠ってしまった彼の事を「いい奴なのに結婚出来ないんだ。何とかしてやりたいんだ。」と熱弁されましたが全く興味が湧きませんでした。

しかし上司の「連絡先を交換しろ。ドライブでも行ってこい。」と強い押しがあり、仕方なく何度か会っていました。

私が何も気を使わなくても良く、相手も大して気を使うわけではなく、不思議と居心地が良い事に気づきました。

ドキドキすることもなく穏やかな雰囲気を持つ彼と結婚し、あまり疲れる事はなくなりました。

HSPの私があまり疲れずに済むのは彼が完全受け身の人だからだと思います。
そして何があっても動じず、相手に何かを理解してもらおう。という欲がない人。
この【相手に欲がない】でいられる人は本当に自立している人なのかもしれません。

実際にケンカは一度もないし、ケンカをする原因が見当たりません。

私にとって一番の居心地のいい場所をやっとみつけた気がしています。

NEXT→次はHSPさんの仕事選びについて何か注意するべきことはないか調べてみます。